清水、炭焼き、雑穀など

資源を生かした交流を

続けることで

山里文化を若者たちに

伝えたい。

 


小さな集落の大きなまつり

 陸前高田市矢作町生出地区は、生出川沿いの上流に向かって続く6集落の総称で、市の中心部から北西へ約17キロ、戸数は約120戸、人口約450人の過疎化が進む山村である。以前は市の中心部に住む人でさえ「生出」がどこにあるのかわからなかったというが、昭和62年、地域の活性化を目指して始めた「生出木炭まつり」が評判を呼び、まつりが定着した今では広くその名を知られるようになった。
 地区の人たちが総出で支える「小さな集落の大きなまつり」も、それから17回を数えた。生出地区を訪れる人たちが増えてくるにしたがって、中心となる活動拠点が必要になり、平成10年、山村文化資源を生かした地域の活性化、交流人口の拡大を目的とし、グリーン・ツーリズムの受け皿施設として建設されたのが「ホロタイの郷・炭の家」である。
 ホロタイとは、地区の西方に望む原台山を意味するアイヌ語である。「炭の家」には宿泊施設や農林加工施設のほか、敷地内にはいつでも炭焼きを体験できるように3基の炭窯が用意されている。
 「炭の家」の中に入ると炭火を起こしたいろりの端で、炭焼きの指導をしている菅野さんが待っていた。



炭焼きの火を絶やさない

 「じいさんの代も、親父の代も炭焼き。炭焼きは冬の重要な仕事でした。だから俺も子供の頃から手伝っていたし、自然に炭焼きになった」。そう話す菅野さんが子供の頃は、地区のほとんどの家が炭窯を持ち、「炭焼きで家を建てた人もいた」という。しかし、石油、ガスなどの燃料革命の直撃を受けた昭和35年以降、木炭生産は衰退の一途をたどる。
 時代の変化にはかなわず、菅野さんも建設会社に勤め、一時は出稼ぎをしたこともある。そういう中でも、地区にはずっと炭焼きの火を絶やさなかった人もいた。
 「村の生活を支えてきた炭焼きを子供たちに体験させたかったんだね」。それが地域の産業文化を生かした「木炭まつり」の開催につながり、むろん菅野さんも第1回から炭焼きの指導をしている。今も自分の窯を持ち、炭を焼き続けている菅野さんは、「炭焼きは昔取った杵柄、元に戻っただけさ」と笑う。

「木炭まつり」のノウハウをG・Tに生かす

 生出地区のグリーン・ツーリズムの取り組みは、拠点となる炭の家が完成してから本格的になったが、木炭まつりで実施している内容は、そのままグリーン・ツーリズムの体験メニューにもなるものばかりだ。木炭、農産物、山菜などの販売、弓矢・竹とんぼなど昔の子供の遊び道具の製作、魚のつかみどり、さらに地元の食材を使った郷土料理、神楽や鹿踊りの郷土芸能など、山里の産業、文化がこぞって登場する。17年も続けてきた「木炭まつり」を通して、地区の人々の中には人を迎え入れ、楽しませる意識が根付いており、交流のノウハウも集積されているので、何をやるにも取り組みやすいという。その企画部門を担っているのがホロタイの郷研究会で、グリーン・ツーリズムでも重要な役割を果たしている。研究会のメンバーは行政区の代表や婦人会の代表、地域の有志など25人。木炭まつりを主催するコミュニティ推進協議会と兼務する会員も多く、その一人である菅野さんは「みんなボランティアですが、今度はこんなことをやろうといろんなことを考えながら音頭取りをしています」と言う。

炭焼きに汗する大学生

 グリーン・ツーリズムを基調とした交流人口の拡大を図る中で、大きな進展が見られたのは平成15年のことである。立教大学の学生と関係者22人が、夏休みの体験に訪れたのだ。学生たちの体験先を探していた大学担当者は、インターネットで生出地区の活動を見て、リサーチに何度か訪れるうちにすっかり気に入ったという。
 体験期間は9月1日から6日間。その話を聞いた菅野さんは、炭窯の更新時期に来ていたことから、窯打ちから体験させることにした。かくして、学生たちは窯づくりから体験するという幸運に浴するのだが、それよりも一番喜ばれたのは、研究会の会員をはじめ地区民の心のこもった迎え方だったようだ。「初日が肝心だということで、まず、炭の家に入った途端、石臼で豆腐づくりをしている姿が見られるようにしたんです。そのまま一緒に昔ながらの豆腐づくりを体験させて、その夜は自分たちがつくった豆腐を炭火で焼いてミソ田楽にして食べるわけ。ものすごく喜ばれたね」と、菅野さんは楽しそうに思い出す。その夜は研究会のメンバーがやって来て民謡を歌ったり、土地の話などをして学生達を歓迎した。
 翌日から窯打ち、炭出し、炭の加工などが始まったが、学生たちは教える側が驚くほど熱心に働いた。自分たちから学ぼうという意識が強く、あれもやりたい、これもやりたいと積極的だった。「斧を使った木割も喜んだっけなあ」と菅野さんは笑う。最終日はお互いに別れが辛かったが、みんなで星影のワルツを歌って見送った。
 炭の家の近くにある「立教大学の森」は、この時の学生たちの植樹を記念するものである。刈り払いなどにこれからも学生たちはやってくるだろう。その後、日本女子大学の教授も視察に訪れており、学生たちの体験や研修はさらに増えそうである。
 「地元の小学校の子供たちも校庭で炭焼きを体験したり、学習発表会では『炭の出来るまで』を劇にしました。他県から体験に来た女性は、ここで農業をしながら自給自足の生活をしたいと言っています。後継者が出てくれば私もこれまで続けてきた甲斐があります」と、菅野さん。都市住民が真に求めるものは、山里の文化と温かい人情であることを、生出の取り組みは気づかせてくれる。

【体験】
炭焼き、シイタケ栽培、マタタビ酒づくり、そば打ち、田舎豆腐づくり、魚のつかみどり、木炭のオブジェづくりなど
【連絡先】
陸前高田市矢作町字清水川8‐3
ホロタイの郷「炭の家」
(陸前高田市交流促進センター)
TEL・FAX 0192‐58‐2141

菅野 昭 (かんの あきら)
【プロフィール】
陸前高田市の生出生まれ。中学校卒業と同時に家業の農林業に従事。若いときは建設会社に勤務したこともあるが、炭焼きは30年以上のベテラン。木炭まつりの開催時から炭焼きの指導者を務め、現在、炭の家のほか、市の中央公民館でも指導者を務める。生出地区コミュニティ推進協議会、ホロタイの郷研究会の会員。現在も自分の窯で木炭を生産しており、菅野さんのつくる木酢液はアトピーに効くと評判。

※この記事内容は、岩手県グリーン・ツーリズム推進協議会発行の「グリーン・ツーリズムのゆめさき案内人」グリーン・ツーリズム活動事例集2(平成16年3月発行)印刷物より、発行元の許可を得て当生出地区紹介頁分を抜粋、web用に編集し掲載しております。